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【連載:世界一の品質を取り戻す54】

検証・日本の品質力
古くて新しい技術開発「バイオミメテクス」の新動向
−生物の多様性・特殊機能から何を学ぶか−
山本 行雄  
(ジャーナリスト・前日刊工業新聞論説委員)  
 

日本政府は現在、「イノベーションの創出」を国家戦略の柱のひとつに据え進行中である。そのイノベーションを発想し、実のあるものにするためには「協働」が大事な要素になると多くの専門家が指摘している。協働とは、自立した専門性の上に力を出し合い、それを融合して新しいものを生み出していくことである。自らの専門性を確立すると同時に、ほかの専門性を理解していくことこそがイノベーション創出を実現する力になる。
従来イノベーションとは狭い意味で技術革新と表現されてきたが、現在では広く革新と訳されている。つまり、ビジネスのすべての領域において対象(消費者、ユーザー、顧客、株主などステークホルダー)に新しい価値を提供できるモノ、仕組み、サービス等々を指すようになっている。ビジネスの業務領域には (1) 経営企画 (2) 開発・設計 (3) 生産技術 (4) 生産管理 (5) 品質管理 (6) 財務・経理・会計 (7) 法務・知財・IPO (8) IT・システム (9) 購買・物流 (10) 人事・教育 (11) 営業・サービス (12) メンテナンス・サービス (13) その他^―があり、それぞれの領域にはエキスパートが存在する。そのエキスパートたちを協働させることが企業のイノベーション力を強化させる。
米国は20年に1度程度の割合で、全米の頭脳を結集し多様な意見を集約した国歌への提言を行っているが、21世紀初頭に出した提言集「イノベート・アメリカ」(通称「パルミサーノ・レポート」=座長を務めた当時のIBM社CEOパルミサーノから命名)において、21世紀はイノベーションが重要な時代であり、その創出のためあらゆる努力を結集すべきであると提言している。だがそこで指摘しているイノベーションとは新カテゴリーの製品や画期的なものばかりでなく、改善を積み上げることによって性能・機能・品質等において業界No.1を実現したものも指すとしている。同時に今後の世界は技術格差が無くなっていく世界が想定されることから改善の積み重ね、イノベーションの連続性が不可欠であるとしている。
では、21世紀ますます重要度を増しているイノベーション。その発想が根拠となるものは数多くあるが、古くて新しいテーマとして最近脚光を浴びている科学分野に「バイオミメテクス」(Biomimetics=生物模倣科学)がある。これは生物自体が保有している特殊な能力や機能を分析し、それを応用することによって人間社会に役立たせようとする技術のことである。ここでは産・官・学の連携で研究が進められているバイオミメテクスの現状についてレポートしてみたい。

1.急激に成果を上げつつあるバイオミメテクス技術開発

科学技術の歴史を概観すると、その研究アプローチ法は2つに大別される。それは自然や環境から何を学び取るかという姿勢と、科学技術の開発・応用で自然といかに決別するかというアプローチ法である。前者は人類の歴史に脈々と受け継がれてきたものであるが、後者は18世紀頃から急速に発展した近代科学技術であり、その代表例がイギリスに端を発した産業革命である。後者は大量生産、大量消費、移動のスピードアップ化などを図り、人類の利便性の拡大に寄与させることにより産業を発展させてきた。ところが21世紀に入り近代科学技術の開発領域が狭まり胸突き八丁に陥ると、再度焦点を当てられ始めたのが、自然の摂理や未来から学ぶネイチャーテクノロジーであり、その中の生物が保有している特殊な機能や能力を解析し模倣することで人間社会に役立たせようとする研究「バイオミメテクス」が再度注目されている。
生物模倣の考え方は古くか存在し、例えばレオナルド・ダビンチはコウモリを模倣することで空を飛ぶことが可能だとして様々なスケッチを残し、ついに1930年米国のライト兄弟は世界で初めて空を飛ぶことに成功している。バイオミメテクスという概念の提唱されたのは1950年代後半。米国の神経生理学者で発明家のオットー・シュミット博士が世に送り出している。シュミット博士は、イカの神経系の研究からシュミット・トリガーと言われる、現在の電子機器の基礎とも言えるデジタル回路の入力回路方式を発明している(1934年)。現在のバイオミメテクスの技術開発動向をみると、やはり3大技術大国(米国、ドイツ、日本)が先行している。自然との共存を旨とし、自然から多くのものを学んできた日本では、このバイオミメテクスの技術応用分野でも大きな成果を生んでいる。古くは複写機の分野でもイカスミの成分分析から高性能トナーを開発したり、建造物の外壁材にカタツムリの殻の構を応用し汚れが付着せず雨などで自然と汚れが落ちるメンテナンスフリーの外壁材を開発したり、数々の成果を上げている。また、大日本印刷は「蛾の目」の構造を分析応用して、テレビなど見る角度によって画像が見づらくなる不満を解消した偏光フィルム「モスアイ・フィルム」を開発している。
この分野の研究はその性格上(生物の多様性に着目し、自由な発想で研究に取り組める)大学の研究室由来のものが多く、それに企業が支援・協力する大学発ベンチャーが多いのが特色だ。以下に現在進められているバイオミメテクス(生物模倣技術)の代表例の数々を紹介してみたい。

  1. ハチドリ:羽根の構造や筋肉のあり方などの研究により、空中静止、特殊飛行を実現する特殊飛翔ロボットの開発。
  2. ヤモリ:電子顕微鏡でしか観ることのできない足の表面構造(100万分の1mm)を解析することにより、カーボンナノチューブの技術を応用し、くっつきやすくはがれやすい「ヤモリテープ」の開発。
  3. アワビ:貝殻は1ナノ以下の極薄膜1000枚で構成されており、あらゆる環境で強さを発揮している。これを海水中の炭酸カルシウムから組成し、構造材等に利用する。
  4. 玉虫:羽根の体表面に特殊感覚を備えている。そのセンシング技術を活用し、高性能赤外線センサーを開発する。
  5. 紋白蝶:この蝶の口の内側は特殊構造になっており、吸い口に筋肉がなくとも蜜を吸い取る機能を備えている。その機能・構造を真似ることにより、各種用途の毛細管を開発する。
現在、21世紀の夢の素材として世界から注目されているのがクモの糸である。クモの糸の特徴を列挙すると、
  1. 柔軟性と強靭性を兼ね備える:引っ張ったときの切れにくさを示す「タフネス性」は鋼鉄の約20倍とされる。
  2. 耐熱性:250〜300度まで耐えることができる。
  3. 紫外線に強い:シルクなどは紫外線に長く当たると経年劣化する。
  4. 伸縮性能:シルクよりも高い伸縮性能を持つ。
「4億年以上の進化の歴史があるクモの糸は神秘的で奥深い」―35年以上クモの糸の研究をしている奈良県立医科大学の大崎茂芳教授は感嘆している。同氏は天然のクモの糸を1万5000本束ねたバイオリンの弦を作成し、通常の弦に比べ豊かで深みのある音色が出ることを著名な科学雑誌に発表、プロの音楽家の注目を集めた。
しかし、クモの糸を大量生産するのは極めて難しい。クモは一緒に飼うと共食いしてしまう性格を持つ。クモの糸の大量生産に向けてはいくつかの組織体が挑戦しているが、ここでは2つのチャレンジ法を紹介する。農業生物資源研究所(茨城県つくば市)は桑名芳彦主任研究員らが中心となって、カイコの遺伝子にクモの遺伝子を組み込み双方のメリットを具現化した新しい糸の研究を進めている。このカイコがつくる「クモ糸シルク」はクモの糸の元となるたんぱく質が全体の0.4〜0.6%の重さしか含まれていないが、強度はシルクの1.5倍に達したという。同氏は「カイコは大量飼育できる。クモ糸シルクは既存の機械で加工できる」と強調している。そして、クモ糸たんぱく質の含有量を増やせば強度をさらに増大させることも期待でき「洋服などばかりでなく、手術用縫合糸など応用が期待できる」としている。
また、一方の慶応大学発のベンチャー企業「スパイバー」(山形県鶴岡市)は、微生物(バクテリア)で人工のクモ糸タンパク質(「フィブロイン」)の大量生産を図る方針。バクテリアには様々なたんぱく質をつくるように改変した遺伝子を簡単に組み込めるので、注文通りの強度や色合いの糸を自在に提供できるようになるとしている。今はバクテリアに組み込む最適な遺伝子配列を模索している。7年前に同社を設立した関山和秀代表執行役は「数年後にはクモの糸を使った製品を世に送り出したい」と抱負を語っている。同社はようやくバイオテクノロジー活用の「フィブロイン」生産の試験プラントを年度内に建設する計画になっている。
ネイチャーテクノロジー、バイオミメテクスの研究が本格化し出したのを受けて日本政府は2012年度、10億円の研究費を予算計上、支援に乗り出している。これを受けて北海道大学では300万点の生物の標本の保存技術を強化、生物資源のデータベース化を進めるとともに、生物学、材料工学、情報工学を連携させた研究体制のレベルアップを進めている。
ドイツもバイオミメテクスの技術先進国だが、日本と同様各分野で研究が進んでいる。ある研究機関ではトンボの飛翔機能(技術)の研究を進めており、新しい機能を有した飛翔体の実現の日も近いと言われている。ドイツも日本同様、国を挙げてこの課題に取り組んでいる。ドイツ政府は今年度、3000億円を用意し、ドイツ銀行と提携しバイオミメテクスの機械工学への応用開発を支援する制度スタートさせている。また昆虫類、藻類の研究から生まれた知見や技術を知的財産化、同分野の成果の囲い込みを狙っている。これと歩調を合わせるようにISO(国際標準化機)でのバイオミメテクスの国際標準化を提案する構えを見せている。

2.今後の競争力はイノベーション創出の速度で決まる

現在ビジネス界では何度目かの新規事業開発ブームを迎えている。その背景には、成熟した社会では生活者の意識が「モノ」から「コト」への変化が挙げられる。それに対応して産業界ではニュータイプの新規事業開発ブームが起きている。その証拠に企業内には既存の研究開発・事業開発部門とは別個のユニーク開発を狙った専門組織を立ち上げるケースが多くなっている。新成長領域研究開発センター、未来創造研究所、ファーストペンギンチーム、ソーシャルイノベーション研究所、ビジネスイノベーション本部、2030年開発室等々、ユニークな名称、特異なミッションの元に組織化されたものが続々と誕生している。
また問題解決、事業開発を行うためのアプローチとして様々な手法・方法が提供されている。代表的なものに、実システムの構造をつなげて表現する「ネットワーク型手法」(KJ法など)、漏れなく重くなく階層型に表現・分類する「ツリー型手法」(マインドアップ、なぜなぜ5回法など)、2つの因子の関係性を明確化する「マトリックス型手法」(SWOT分析など)等々が提示されている。また、最近人気を呼んでいるのが米国アイデオ社に代表される「デザイン思考」。デザイン思考とは「共感と観察」(Empathy/Observe)→「定義」(Define)→「発想」(Ideation)→「実証」(Prototype)→「評価」(Test)を繰り返すなど、仮説検証型ではない課題発見型の新製品や新サービス開発が実現できるという手法である。
新興国の技術的追い上げによって、先進国の技術的優位性の差はますます狭まっている。よってイノベーションの開発、前回取り上げた新ビジネスモデルの創出はどの経営にとっても緊急の課題になっている。電気自動車で現在話題の米国テスラモーターズ社CEOのイーロン・マスク氏は「競争力はイノベーションの早さで決まる」と決意を新たにしている。経営者にとってはイノベーション開発に役立つ人材の開発(異能の受け入れも含む)、今まで交流の薄かったエキスパート同士のコミュニケーションの円滑化(密な交流)の仕組みづくりも急務となっている。

[参考文献]
『2030年のライフスタイルが教えてくれる「心豊かなビジネス」』(モノづくり日本会議・ネイチャー・テクノロジー研究会編,日刊工業新聞社刊)


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