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2008.01【特集記事】
エンジニア・現場マンのための
中小企業診断士への道

実践クオリティシステムズ 代表 左近 祥夫


●技術に強い方が中小企業診断士の資格を取れば鬼に金棒!

 

1 プロローグ

上村陽一は昼食の席上、小声で、「中小企業診断士に受かった」と言った。その日の3時休み、工場長が来て、「これからいろいろとアドバイスしてもらわなきゃ・・」と言った。その態度は、いままでの強圧的なものではなく、姿勢を低くしたものであった。

2 会社の変化

上村陽一は従業員数300名程度の中小製造業に勤めていた。会社は大企業の管理者を数名受け入れた。彼らは総務、経理、技術などの部長又は次長に配属された。株式上場するための布陣である。内部統制が必要である。その体制を作るという理由である。社長直轄の組織である上場準備室ができた。課長以上の社員が本社(東京)に集められ、株式上場するための要件が説明された。その説明は「従来のぬるま湯ではダメだ」という内容であった。それ以上のことは、経営コンサルタントから説明があったが、上村陽一にはわからなかった。
上村陽一はT工場技術課の課長である。T工場は埼玉県にある。T工場には、鉄鋼大企業の出身者である相馬達郎が工場長として赴任した。相馬達郎は、メガネをかけ、頭髪は七・三に別け、ネクタイをしていて、見るからに頭のよさそうな人であった。事実、工場の成り行き的な運営を指摘し、次々と改革をした。鉄鋼大企業で技術者であったため、指摘は論理的であり、的確であった。
ある日、上村陽一は相馬達郎から「上村君。キミは遊んでいる」といわれた。上村陽一は腹が立った。自分は毎日一生懸命に働いている、しかるに、工場へ来たばっかりの者が「遊んでいる」と指摘する、とんでもないやつだ、と思った。その日の仕事が終わり、帰途、相馬達郎の言葉を思い浮かべた。どうやら、上村陽一の考え違いであったようだ。相馬達郎の指摘は、「計画がない。成り行きで仕事をしている。まとまった成果がない」ことを指摘しているようだ。そのときどきに発生した事案をこなしているから「遊び」という言葉になったのだ。上村陽一は「大企業はそうなのか・・・。計画というものがあって、それをやっているのだ・・・」と認識した。
別のある日、上村陽一は兵庫県に所在する仕入先会社へ出張した。上村陽一は出張帰りの日の午前、報告書を書いた。昼食の席上、相馬達郎に会ったが、出張のことは言わなかった。午後、報告書を工場長のデスクに置いた。相馬達郎は「報告書は新幹線のなかで書き、朝の出社時に出すものだ」といった。上村陽一はむっとした。新幹線のなかは自分の自由時間だ、なぜ会社の仕事をしなければいけないのだ、と思った。むっとするとともに「鉄鋼大企業の管理者は新幹線の中でも仕事をするのか・・。同じ課長の肩書でも中身は中小企業と違うな・・・」と思った。

3 改革と疲弊

相馬達郎の改革は、論理的であったが、行き詰った。こんなことがあった。相馬達郎は、係長職以上のものを集めて、毎日、昼食をともにしていた。その席上、相馬達郎は「安心してパートタイマーを雇い、安心して解雇していい」といった。それは、正社員とパートタイマーとの契約上の違いをわかりやすく説明する言葉であるが、その言葉が工場内に伝わり、パートタイマーや古参社員の反発になった。上村陽一など管理者とは違って、もともと大企業出身者に対する違和感があったうえに、あからさまな侮蔑の言葉によって彼らの心は態度に表れるようになった。
こんなこともあった。第一工場で仕掛品を生産し、第二工場で完成品にする工程があった。相馬達郎は第一工場の工程を第二工場に移し、連続的な工程にした。それによって、生産効率は上がり、不良は激減した。上村陽一には劇的な改善であるように見えた。事実、仕掛品移動のムダがなくなった。工程を連続にしたため、後工程が前工程の品質チェックをし、すぐにフィードバックするので、品質が向上した。さらに出来高数と在庫数を把握しやすくなった。
しかし、第二工場へ移された元第一工場作業者4名が会社を辞めた。理由は、第二工場の作業者との精神的軋轢であった。相馬達郎は「管理者の目線と作業者との心とは違っている」と感じた。多くの経営者は「効率が上がり、会社が儲かれば、必ず皆さんに還元される」と言い、管理者は鵜呑みにしている。しかし作業者の心には伝わらない。作業者は、日々の安心、働きやすい職場環境を求めている。上村陽一は相馬達郎を尊敬するものの、「何かが違う」と思うようになった。

4 出会い

上村陽一は、株式上場に関する第何回目かの説明会が終わり、昼食が出された会議室で本社管理者の「勉強し始めたよ、中小企業診断士を・・・」という会話を耳にした。上村陽一は、その場では「俺は技術者だ。経営は関係ない」と思ったものの、T工場への帰途、東京の本屋へ寄った。書棚にあるマーケティングの本を手にした。パラパラとページをめくった。そこには「マーケティングとは、売り込むのではない、消費者の需要を満たすことだ」と書いてある。上村陽一は「え。『売り込む』のではないのか。『必要を満たす』仕事があるのか」と驚いた。さっそく、買った。自宅へ帰り、読み始めた。一気に読み終えた。いままでの考えと違う。夢のようなことが書いてあった。その内容は、たしかに理にかなったものであった。

5 試験

5.1 試験の枠組み
中小企業診断士になるためには、まず、第一次試験に合格し、次いで下図の1又は2の経路を経て登録される。

図
図1 中小企業診断士試験の枠組み(現在)

5.2 勉強
技術者だけでなく、一般に工場勤務者は、物事を「深く」追求する。しかし、経営の分野は「全体」が重要である。 例えば、一次試験の一つの科目である「経営情報システム」は下記のような領域全体を理解する必要がある。

図
図2 一科目・経営情報システムの体系(部分)

6 合格と転職

上村陽一は中小企業診断士の試験に合格した。そして「自分はこの会社を超えた」と思った。株式上場を目指すための準備で要求されたこと、鉄鋼大企業出身の相馬達郎の工場改革などで自分の気持ちを納得することはできないことを自覚した。自分の「道」があることをはっきりと認識した。 上村陽一は経営コンサルタント会社へ転職した。経営コンサルタントはクライアントへ行って経営改善の指導をするが、それは、喩えて言えば水面上に浮かんでいる氷の部分であって、水面下に沈んでいる部分がある。企画書を作成し、スケジュールを決め、説明資料を作成し、結果を確認する仕事が水面下の仕事である。新幹線の中へパソコンを持ち込み、資料を作ることは普通であった。クライアントとの会食のあとのホテルで仕事も日常的であった。それでも同僚コンサルタントの速さに追いつけなかった。正月休みはまったくなかった。

7 独立

コンサルタント会社で二年間働いた。上村陽一は、当初、同僚コンサルタントより能力が劣ると自覚していたが、徐々に自分の領域ができてきた。上村陽一は「だいたい、学ぶべきことは学んだ」と思い、コンサルタント会社を退職した。そして、製造業を対象とする、独立した経営コンサルタントになった。仕事のあてはまったくなかった。しかし、「人からみて役立つコンサルタントになろう。役立つコンサルタントであれば、何とか食っていけるだろう」と思った。 幸い、上村陽一に仕事はあった。もともと性格がのんびりしているのか、それとも中小企業で働いていたためか、「猛烈」は性に合わない。気の合った会社で5年、10年と、長い期間、指導をしている。経営者とも、管理者とも、パートタイマーを含む従業員とも、時にグチを言い合い、励ましあい、そして改善の手伝いをしている。上村陽一の指導によって工場が大変身し、あるいは改善に失敗して頭を下げる。スリルのある仕事である。



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